荷物をまとめ宿で夕方のバスの時間まで預かってもらう。夕方までは出会った日本人と露天風呂に入り最後の温泉を楽しんだ。
夕方ヴァシシト村からマナリーのプライベートバススタンドまでリキシャで移動。バスチケットを買った旅行代理店に交渉してもらったが60Rからまからなかった。帰りはほとんど下りなので途中までエンジン使わなかった。
またまた日本人の癖が出て早めにバスターミナルへ行った。バスはいたのだが乗務員はみんな仮眠中のようだ。荷物をトランクに積んで発車まで待つ。
集合時間の5時半頃になってやっと人が集まりだし、出発かなと思ったら何か様子がおかしい。どうやらエンジンがかからないようだ。あれだけお前ら寝てて発車時間になってエンジンがかからないなんて。。ちゃんと客が来る前に何とかしろよな。などと日本いや世界の常識を持ち出してもここはインド。。
1時間半ぐらい押してみたりしてバスを人間で押し掛けしようとしていたが、バスは無理だろう。このペースだとダラムサラにはいつ着くのだろうか?今日はあきらめて宿でもう一泊になるかなと考えていた。
そのうち大きなトラックがやってきて、ロープでつなぎトラックで引っ張るとエンジンがかかった。。おいおい単なるバッテリー上がりかい。。バッテリー交換しろよな。。。この旅でおんぼろなバスにはたくさん乗ってきたが、走っている途中でのトラブルはたくさんあったが、走る以前にエンジンがかからないっていうのは初めてだ。さすがインド。。。みんな動じずバスが動くのを待っていた。
バスは19時半頃やっと発車。1時間半遅れだ。12,3時間と聞いていたので、翌朝8時頃だろうか??バスの中では寝れなかったが、意外に早いペースで来ている。と考えていたら夜2時半頃ダラムサラについたと車掌がいう。
何??慌てて降りる用意をして、バスを降りるとダラムサラそばの空港の入り口のようだ。おいおいここはダラムサラの街じゃないだろうと文句を言うと、どうもこのバスはジャンムー行きでダラムサラ行きの客はここでジープに乗り換えダラムサラに行くということのようだ。ジープ代はダラムサラまでは無料だが、これから行くさらにその上のマクロードガンジまでは有料とのこと。。
ここで地名がややこしくなってきたので説明すると、旅行者が行くダラムサラは正確に言うとマクロードガンジという街である。ややこしいがそこから山を下りたところにダラムサラの街がある。ダライラマやチベット亡命政府はマクロードガンジにある。つまり街としての中心はダラムサラの市街地なのだが、旅行者が訪れるのはダラムサラ地区の中のマクロードガンジということになる。書いててややこしくなってきたので、ググってみてください。
深夜2時半オーストラリア人の親子と数人の韓国人のとともにジープに分乗してマクロードガンジを目指す。結構距離があるようで1時間強走っただろう。
4時前にマクロードガンジの中心バススタンドへ。ジープに一人100R取られたが、リキシャで一人登っても100R程度らしいので、かなりぼられているようだ。後で聞くと11人乗りジープだと一人9Rとバスと同じらしい。深夜であることを考えてもいいとこ50Rでいいだろう。
でもなんでこんなに早く着いたのだろうか??新しい道でもできたのか??山道なのでそんなにとばせるわけがないし、またまたインドの謎である。こんなに早く着くんだったら昼間の公営バスでいったほうが良かったかもしれない。早朝出れば、その日のうちには着くだろう。
朝四時なので宿が開く朝方まで韓国人たちと話す。竹島は日本の領土だよと説得する。北朝鮮が崩壊しても彼らは一緒になるのはいやだそうだ。。
何て話をしているうちに朝が来て、仕事熱心な客引きが来る。韓国の女の子はその客引きの宿に行く。俺様と韓国青年は、ガイドブックの宿を回るが、値段が高くなったりしていて、結局客引きの宿へ。PINEWOODという宿で、臨時営業なのか、インスタントな看板しか作ってなかった。部屋は安宿レベルで150R。部屋ごとの電熱のホットシャワーもでる。ここマクロードガンジは1700Mあるし、もう冬の入り口なので朝晩は寒い。水シャワーは無理なのだ。
昨夜寝てないので、早速仮眠を取ってからここで有名な日本レストランルンタにいってみる。そこでなんと中国のシンセン、カトマンズでも会ったN君とまた再会。女の子なら運命を感じてしまうところだが、男なのでただの偶然かもね。。
ここルンタは100Rで日替わり定食があり、特に巻き寿司と野菜天ぷらは必食である。本もたくさんあって貸し出しもしてくれる。奥さんが日本人で旦那さんがチベット人だ。ルンタプロジクトというNGOも関わっているようだ。いついっても人でいっぱいで、日本人よりむしろ白人が多い。そうこの町は全体的に白人が多いのである。頭をそってラマ僧の格好をした白人男性、女性も結構いる。
ルンタの裏側にいい宿を見つけそこに移る。ホテル並の綺麗さなので初め250Rといっていたが今150Rだというとそれでいいという。宿の名はPWAWANHOUSE。テレビもありNHKは無理だが、CNNとBBCは映る。街の中心からはちょっとあるが、隣に韓国レストランもあり、この付近はネットも1時間20Rと安い。この宿に八泊も沈没してしまうことになる。
観光
観光といっても小さな街なのでそんなに見るところはない。チベット寺とダライラマレジデンスぐらいだ。
チベット寺へ行くと、パンチェンラマ問題やラサ暴動のポスターなどが多数貼られている。小さいがチベット博物館というのもあり、亡命チベット人の歴史などが展示してある。受付の女性に何人かと聞かれ日本人だというと、色々チベット問題について教えてくれた。中国本土の人もたまに来るらしい。彼女によるとその中国人も亡命チベット人の主張を理解してくれたそうだ。結局問題なのは中国共産党であって、中国人ではないんだよね。
博物館の横をさらに行くとチベット寺があり、その道を挟んだ向こうにダライラマレジデンスがある。チベット寺では久々の五体投地をみた。マニ車もある。中国からはるばるネパール、インドまで亡命を余儀なくされているチベット人に世界中の同情が集まるのは仕方がないことかもしれない。その分中国が悪玉国家に見える訳なのだが。。
とはいってもここにいるチベット人は、今まで中国やネパールで見たチベット人より裕福な人が多いなと感じたのも確かだ。金が集まるのだろうか?インド人の乞食にチベットばあさんがバクシーシしていた。中国で俺様が見たチベット人よりみんな遙かに豊かだ。
ダライラマレジデンスは、彼の知名度からするとこれでいいのと思えるほど質素な建物だった。この記事を書く少し前、来日していたようだ。例によって中国政府の圧力に気を使う日本政府の要人とは会えなかったことだろう。
インタビュー記事を見た。
産経MSNダライラマインタビュー元記事ここで疑問が生まれたのだが、ダライラマのパスポートはどうなっているのだろうか?中国政府のパスポートで入国しているはずもなく、チベット亡命政府のだろう。
日本政府なども中国に気を使って一応国としては承認していないはずだが、まあ特例措置ってやつだろうか?知ってる人がいたら教えてください。
彼ももう74歳である。健康面も気になる。このまま彼がもし亡くなると、パンチェンラマのように中国政府は、国際社会が認めるかどうかは別として政府認定のダライラマを立てるに違いない。そのとき生まれ変わったダライラマは何処に現れるのだろうか?
もしラサで生まれるとパンチェンラマのように中国政府が、さらってしまうことだろう。チベット仏教界はどう新しいダライラマを認定し、ダラムサラまで連れてくるのだろうか?これはチベット仏教のアイデンティティに関わる重要な問題となるだろう。
まあ中国共産党独裁政府が崩壊するより、ダライラマが亡くなる時のほうが早く訪れることは、残念ながら濃厚だろう。
宿で久々に中国中央テレビの7時のニュースを見たのだが、30分のニュース番組で、初めから17分間共産党幹部が今日は何処に行って何を視察しましたといった内容だった。10億以上の人が暮らしていて、事件事故はないのだろうか?社会部という部署が存在しないようだ。改めて言うがやはり何かがおかしい。
日本でたとえるとNHKの7時のニュースで17分間麻生総理が今日は何処へ行って国民を励ましました。細田幹事長がどこどこ工場を視察しましたと延々とやっているようなものである。
この国のニュースはニュースではなく党の宣伝番組でしかない。どこかの将軍様の国と変わらない。これだけ政治的にも経済的にも軍事的にも世界の大国になったわけだから早く普通の国になるべきだろう。
結果的にダラムサラに10日も軽く沈没してしまった。どうもこの街は、予想外の沈没地のようだ。宿もあたりだったし、日本レストランも安くてうまかった。長期滞在の外国人も多い。ルンタへは毎日通い、めぼしい本も読み、カレーは全く食べず、チベット料理や韓国料理、イタリアンなどを食べて過ごした。
旅も後約3ヶ月、これからまたイスラム圏に入り食生活は貧しくなるだろう。そう考えついつい滞在が長くなってしまった。これから旅も佳境に入りハードな道のりが待っている。
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re:snufkin
宿がかなり値段の割によかったし、日本料理屋や韓国料理やパスタがうまかった。
だいたい皆さん10日は沈没するようですね。
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